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"Banjo: A Story without a Plot" by Claude McKayを読了。
舞台は1920年代後半の南仏・マルセイユ。アメリカ深南部から放浪してきた陽気なバンジョ−弾きの風来坊、"バンジョー"を中心に、港町に集まる様々な黒人たちの人間模様を描く。 作者のクロード・マッケイ(1889-1948)は、Wikipediaで「ジャマイカ人の作家、共産主義者。」と説明されている。若いうちにNYに渡り、ハーレム・ルネッサンスに貢献。その後ヨーロッパやアフリカを放浪した。 "Banjo"は、1927年から翌年にかけて、バルセロナとマルセイユで執筆された。南国の果実のような芳醇なムードと、時に爆発するミリタントでアフロセントリックな思想論議が、うまく解け合っておらず、文学作品としては未熟に思えたが、個々の要素は充分な読み応えだ。 その中でも、「酒」と「黒人であること」がキーワードとなってくる。 当時のアメリカは禁酒令の真っ最中。大西洋を渡ってきた者にとって、安くうまいワインが飲み放題のフランスは、酒飲みにとっての楽園だったのかもしれない。 そして、マルセイユはヨーロッパの玄関口として、世界中から船の船員や労働者たちが集まるホットスポットだった。異国の地で出会う、アメリカやアフリカ、カリブの黒人たちの交流をマッケイは実にいきいきと捉えている。 特に前半、バンジョーと仲間達が、場末の酒場でしこたまワインを飲み、歌い、踊り、その日暮らしで楽しむ様子は痛快だ。バンジョーの奏でるディープサウスの黒人音楽と、仲間のハイチやセネガルやザンジバル(!)などの黒人達がふれあい、新たな音と踊りが生まれるのである。これは相当贅沢なセッションであり、是非とも聴いてみたくなる。 で、その音楽を再現してみようと試みたのが、昨年訪れたマルセイユで会ったミュ−ジシャン、Moussu T.ことタトゥー氏だった。彼がインタビューの中で、新作で何故バンジョーを使ったのか語ってくれたのだが、その中で、「ある小説」と何度も言っていた。のちに彼のサイトで、"Banjo"という本らしいと知る。時代や舞台、テーマに興味をそそられ、さっそくアマゾンした。 なにせ80年前に書かれた本だし、登場人物はスラング混じりの南部黒人英語か、クレオールで語らう。判らないところも多かったけど、その会話言葉の音楽的な響きが素晴らしいのだ。たとえば、バンジョーはこんな風に語る: "Ise a true-blue traveling-bohn n*** and I know life, and I knows how to take it nacheral. I fight when I got to and I works when I must and I lays off when I feel lazy, and I loves all the time becausen the honey-pot a life is mah middle name." ("n***" = 黒人を指す卑語。ここでは伏せておく。) 「オイラは生まれながらの正真正銘の風来坊。人生は体で知ってんだ。いざとなりゃあケンカもするし、金が無くなりゃ働くし、めんどくさけりゃ寝っころがる。そしていつだって愛し合ってるのさ。オイラのミドルネームは『人生はトロトロはちみつ壷』だからね。」 (お粗末な訳ですみません! 最後の"the honey-pot a life"の意味よくわからん。) 人生を謳歌するさすらい野郎の、豊かなリズムと熱さのある、魅力的な言葉の流れ!現代のHip Hopのライミングにもしっかり通じてる。 1つ驚いたのは、80年昔に語られる人種問題と、今のAfrican Americanから聞こえてくる声の共通点の多さ。当時は事実上、参政権すらまともに得ていなかったAfrican American達が、今や大統領も夢ではないところまで来たというのに、日常の差別というのは普遍的なものなのだろうかと考えさせられた。 (和訳が出ているのか判らず。) 追記:この作品は、昨年劇場公開された「母たちの村」を撮ったセネガル人監督、ウスマン・センベーヌの処女作にも大きな影響を及ぼしたとか。(→関連記事)
by rflux
| 2007-05-09 22:05
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